最初に聞いたときはぴんとこないが、この言葉の意味は非常に深い。
刺激を受けると、反応する。これは当たり前のことだ。
例えば、パブロフの犬は非常に有名だが、あれは、餌をあげるたびに必ずベルを鳴らすと、そのうちに、エサが無くてもベルを鳴らすと犬がよだれをたらすようになる、という条件反射の話だ。つまり、刺激を与えると、半自動的に何も考えることなく、反応する。
[刺激→反応]、となる。
それに対して、「刺激と反応の間にスペースがある」という言葉の意味は、
人間は、どんな刺激を受けたとしても、それに反応する前に、スペースをもてる、
ということだ。
言いかえると、
どんな刺激を受けたとしても、それに対する反応の仕方を決めるのは、その本人ということだ。どんなことが起きたとしても、それに反応するまえに、選択の自由があるのだ。
[刺激→スペース!(選択の自由)→反応]、とすることが可能なのだ。
ついつい、
我々は刺激に対して選択の自由が自分自身にあることを、忘れてしまいがちだ。
「うちの親があんなだから、、、」
「こんな風に育てられたから、、、」
「日本の教育制度のせいで、、、」
「今の環境にいたら、、、」
誰もが上記の言葉を口にしたことがあると思う。
しかし究極的には全ての行動の責任は我ら自身にあるのだ。
我らは、誰にも干渉されることなく、自分の反応の仕方を選ぶことができる能力がある。
自由意志が存在する。
「夜と霧 新版」を書いたビクター・フランクルの話はすさまじい。
彼はナチスドイツの収容所に送られ、人間の尊厳を害するすさまじい扱いを受けた。家族は殺され、彼自身も数知れぬ拷問・屈辱を受ける。そんな中で、彼は悟るのだ。どれだけ看守達が彼をとりまく環境をコントロールしようと、彼自身の身体を思うがままに操ろうと、彼自身の「自覚」を奪うことは決してできない、ということを。フランクル自身は、その状況下ですら、自分がどう影響されるかを自分で選択することができる、ということを悟ったのだ。。
「あなたの許可なくして、誰もあなたを傷つけることはできない。」
by エリナー・ルーズベルト
そう、この座右の銘とそれにまつわる話は、どんなときでも私を前向きにさせてくれる。
どんなときでも、へこたれる必要なんてない、ということを思い出させてくれるのだ。
ちなみにこの「刺激と反応の間にスペースがある」という考え方も、
以前紹介した7つの習慣から引用しています。
(かなり有名な本ですが、もし読んで無かったら是非読んでみてください。)
ちなみに、最近の私の課題は、
お腹がすいているときに、
いかに刺激と反応の間にスペースを持てるか、である。
お腹がすいていると、短気になりスペースがもてなくなる。
急いで食堂に行くべきか、
ゆっくりと動いてできるだけカロリーを消費しないでおくべきか、
そんなことばかり考えて、人の話も聞いていない。
まだまだ人間が小さいのだ。
Today, my friend is visiting me from Japan. I am really glad to meet him especially because Pittsburgh is so far from Japan. We had a beer and talked about recent events. It has been almost 6 months since I came here. There are things that changed and didn't change in Japan. Anyway, I want to write later about what is going well and what is not going well compared with what I expected on Dec 11th. That is because the day I came to the US is June 11th.