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父としてのニーズ

2ヶ月半になるRen.Tは、
すでに自己主張をしっかりするようになってきた。

おっぱいが欲しいとき、
おしっこしたとき、
抱っこして欲しい、ときのいずれかの場合、声をあげて主張する。
(うんちのときは泣かないで、むしろ、嬉しそうにしている。
暖かいからか?)

機嫌が悪いときは泣くが、抱っこするとぴたりと泣き止むので、
赤ちゃんにしては、楽な部類の子に入るのだろう。

しかし、一度抱っこちゃん状態に入ると、
かなり機嫌が良くなるまでは、
肩の上に抱え上げるようにして抱いておかないといけない。
どこかに置こうとするそぶりを見せただけで、甘えた声をあげる。

そのため、一度抱っこちゃん状態に入ると、
1時間くらい抱いていないといけないわけだが、
そうなるとどうしても片手がふさがってしまい、
本はなんとか読めるのだけど、
パソコンを打つことができないのが目下の悩みだ。

そういえば、昔、インタフェース関連の研究をしていたときに、
片手入力の方法がいろいろあったことを思い出し、
それを再度検索してみた。

片手入力用の専用ハードウェア買うのは勿体ないので、
ソフトウェアで片手入力ができるものを使うつもりだ。
WKeyというのが面白そうなので、これを試してみることにした。

こんなニーズは、パパになるまで気がつかなかったなあ。
抱っこしてくれる人型ロボット、本当に欲しい、今日この頃。
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アメリカのパスポート到着

Ren.T(息子)のアメリカのパスポートが届いた。郵便局で申請した際に、お金を惜しまず高速オプションをつけたので、申請から1週間ちょっとで手元に届いた。現在、日本のパスポートは申請中。日本の場合、戸籍制度があって地方が管理しているので、なかなか面倒くさい。

なにはともあれ、Ren.Tは、現時点でGDP世界1位、2位の国のパスポートを手にすることになる。しかし、2010年には中国が日本を抜くという試算もある。世界はRen.Tが成人になる20年で大きく変わることになるだろう。

また、国の経済成長の視点から目をはずしてみると、日本、アメリカはかなり違う文化、慣習、社会制度を持った国だ。やがて彼が成人になり、自分自身で国籍を選ぶ際に、どういう価値観で選ぶかは彼の育ち方によるのだろう。

彼が彼にとってベストの選択をできるよう、できるだけ多くの機会を与えてあげたいなあ、と思う今日この頃です。

車を盗まれる?

「ほんの1時間の間だったんです。友人のアパートを訪ねて、そのアパートの駐車場に車を停めていました。1時間ほどで外に出てくると、そこにあったはずの車が無かったんです。私はすぐには状況が飲み込めず、何度も車があった場所を指差し確認しました。車の轍を確認して一人でうなずいていました。cocia(奥さん)はRen.T(息子)を抱えたまま、急に寒くなってきた10月末のピッツバーグの荒野で、ジプシーの親子連れのようにその場にたたずんでいました。」(Ken.T談)


結局、忽然と無くなってしまった車は、
結局、盗まれたのではなく、レッカー移動されていたのだった。しかし、もっていかれた後には何の印も無かったので、レッカーされたのかも、と気づくのに大分時間がかかった。そこは結構アパートの駐車場の奥まったところで、レッカーをされるような雰囲気では無かったのだ。


まあとにかく、レッカー移動されただけでよかった。そこのアパートメントの入り口のビラに張ってあったTowingの会社に電話してKen.T車があることを確認し、友人に車を借りて取りに行った。貴重な3時間と$150を失った。しかし車は失わなくて済んだので不幸中の幸いだと思っている。

皆さんも気をつけてください。


Path Dependency(経路依存性)

Path Dependency(経路依存性)という言葉がある。

一言でいうと、テクノロジーに大きな進化があったとして、その進化の方向性は、経路に依存する、つまり、そのテクノロジーが辿ってきた歴史から大きく影響を受ける、ということだ。

よく引き合いに出されるのが、パソコンのQWERTYキーボードで、この使いやすいとは思えない配列がずっと使われている理由が、もともとタイプライターの配列がそうなっていたからというのはよく知られている。その頃のタイプライターは手動式であり、QWERTY配列紙を打つアーム同士ができるだけ左右交互に動くように意図されて作られたそうだ。そういう意味では、現在のパソコンにとってQWERTYキーボードは最適化されたものではないのだが、その歴史的経緯により使われ続けている、といえる。
(ちなみに、キーボードについて興味があればこちらをどうぞ。敬愛する友人のサイトです。)


このPath Dependencyという考え方は、結構面白い。


キャリアに当てはめてみると、
多くの人がPath Dependencyに囚われていて、
最善の選択を逃しているのかもしれない。

英語学習に当てはめてみると、
日本語教育→日本での英語教育→英語環境、というパスは、
日本人留学生と他の留学生の進化の仕方を比べてみても、
世界の中でも最悪の部類のPathなんだと思う。

恋愛にあてはめてみるのはまたにして、
これくらいで今日は寝ます。

マッシュアップで火事の状況が

マッシュアップとは、一言でいうと公開されているWebサービスなどを複合させて新しいアプリケーションを作ること。

現在、サンディエゴ辺りで起きている大火事の状況が一目で分かるサービスが、そのマッシュアップで作られて、クラスで紹介されていたので、ここでも紹介。

http://maps.google.com/maps/ms?msa=0&msid=114250687465160386813.00043d08ac31fe3357571

Satisficing(満足化)すること

Satisficing(サティスファイシング、満足化)という言葉を最近よく耳にするというか、口にする。

Satisficeとは、Satisfy(満足させる)とSuffice(十分)を組み合わせた造語だ。
一言でいうと、最善の選択肢ではなく、満足のいく選択肢を求めることだ。



(http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~suchii/evol.ethics.html より改変) 

「満足化」とは、最大化が不可能であるか、可能であるにしても計算上のコストが大きすぎる場合に、最善の選択肢ではなく満足のいく選択肢を求めることである。

例えば、大きな靴の卸屋で自分のためのスニーカーを一足探したいとき、自分の好みや必要性、耐久性、値段などを考慮して最善の(最も満足のいく)選択を行うことはまず不可能である。最善を求めるためには決まったサイズのスニーカーをすべてのメーカーにわたって調べなければならず、そのためには多大な時間を要するであろう。しかし、半時間程度の限られた時間内でも気に入った商品を探し出すことは可能である。

このとき、わたしは、例えば過去の経験から知っている二、三のメーカーの製品に的を絞り、適当な満足度のレベルを設定し、それをクリアーした数個程度の選択肢の中から一つを選ぶという形で満足のいく選択をおこなえばよいのである。現実的な合理性はこのような形を取ると Simon は言う。」



Dual degreeをこなしていくには、沢山のことをSatisficingせざるを得ない。例えば、一つ一つの課題に、最高の出来を求めて最大限の時間をかけてしまうと、他の課題に手がまわらなくなる。自分の中で、目標値を決めてそれを超えたらその課題はよしとする、といったアプローチが非常に重要になるのだ。

しかし実際に上手にSatisficingするには、
きちんと計画を立てるLogical(論理的)な、左脳的な能力だけでは駄目で、
えいやと決めてしまえるIntuitive(直感的)な、右脳的な能力が重要だと思う。
だから余計に難しいのだけど、
コンピュータにはもっとも不得意な分野で、
人間だからこそできる価値があるスキルだと感じている。

おっと、そろそろSatisficingして、
(まだ十分に整った文章が書けたわけではないけど)
このあたりでブログも終わりにします。

Googleストリートビュー

GoogleMapsの新しい機能であるストリートビューを、
友達に教えてもらったのだけど、面白い。

ちなみに、近場のところをピックしてみました。

学校関係

Tepper Business Schoolの前(CMU)

MSEの前(CMU)

SEIの前(ソフトウェアエンジニアリングの聖地)


ピッツバーグ関係

ピッツバーグのダウンタウンの景色


Magee Womens Hospital (Ren.Tの産まれた場所)

PNCパーク(Piratesの本拠地)


Heinz Field(Steelersの本拠地)


#それにしても、昔は大学院でVR(Virtual Reality)の研究をしていましたが、
#一区画のこういうストリートビューを作るのに大変苦労していました。
#あれから10年も経たないうちにこういう時代になったのです。
#こういうアプリケーションを世の中に出せるGoogleは奇跡のような会社だと思います。

継続するための変革

ドラッカーの本はマネジメントの世界で非常に有名なのだけど、今日たまたま手に取った本の一文が妙に気になった。

社会が社会たるための条件、という文脈で

「そのためには、何をおいても、
継続と変革のメカニズムが
社会に組み込まれていなければならない。

人が必要とするのは継続の方である。

しかし世の常として、あらゆるものが陳腐化する。
日本人にはおなじみの諸行無常である。
だからその劣化を防ぐための変革が必要になる。

変革とは継続を保証するためのものである。」
(from ドラッカー入門)


社会についての話なのだけど、人間そのものにもあてはまるな、と思った。


自己を振り返ると、次のステップ、次のステップと、
変革を常に強いる自身がいるのだけど、
(そして、それに時に自分でも疲れることがあるのだけど、)
それは自己の底のほうからくる継続しようという意思が、
変革を促しているのかもしれないな、と、
ちょっと新しい視点に触れた気がした。

新しいことへの違和感

日本にずっと住んでいると、そこでの社会の仕組みが当たり前のことのように思えてくる。留学してみると、当然のように思っていたそういう社会の仕組みが全く違う社会がある、ということに最初は困惑する。

その違和感を説明するときに、直感的に分かる方法として、下記のように説明されたことがある。
「両手を胸の前で組んでくみてください。
組んでいる手を見てみると、右手が上になっていたり、
左手が上になっていたり、人によって違うと思います。
では、その手を組み替えてみてください。
つまり、右が上だったら左が上に、左が上だったら右を上にしてみてください。」


やってみれば分かると思うが、すごい違和感がある。
この不快感を、常に味わい続けることになるのが留学生活だ。


その話をいつものようにcociaにしてみた。
確かに英語で生活するようになって、
この違和感と戦ってきたよね、って。

すると、彼女はこう言った。

「利き腕を、肩の上から背中にまわして、
利き腕と反対の腕を、脇の下から背中にまわして、
背中の後ろで、両手同士を触れてみて。触れ合うことができるよね。

今度は、利き腕と反対の腕を、上から背中にまわしてみて、
利き腕を、下からまわしてみて、触れることができるかやってみて。

ぜんぜん届かないよね。
私はいつもそんな感じ。


むぅ、うまい。(英語じゃなくて、切り返しが。) 参りました。

兄弟の絆

兄弟って不思議な存在だ。

先日、弟のTaku.Tが会社で表彰されたそうだ。彼はNYCの大学院を出て、NYCでそのままプログラマとして働いている、日本人としては稀有な存在だ。


(以下、表彰文。
内容としては、週末を返上してすごく頑張って貢献したので、表彰します、
いった感じ。)

Taku.T and Sun XXXX

Nominated by XXXX, XXXX

There was a very large/visible release this past weekend related to the trading system named XXXX which moved the XXXX system from a fee based system to a commission based system. For this project both Taku.T and Sun put in many long hours and in many cases it was not even related to their changes but rather from other enterprise systems. And when Sun was on vacation last week Taku.T really made sure that the deployment would go smooth from the XXXX side by working late leading up to the deployment and properly planning all the necessary task for production and then working throughout the weekend to ensure all the changes worked in production and ensuring the new trading system was ready for Monday morning before the market opened. For the release above there were over 100 people involved company wide as most if not all systems needed to be updated for this project.



子供のときは、殴り合いの喧嘩をしたものだけど、今となってはいい思い出だ。兄弟が褒められると、自分のこと以上に嬉しい。兄弟が傷つくと、自分のことよりも痛む。きっと、喜怒哀楽を分け合ってきたからなんだと思う。兄弟って不思議な存在だ。

気を使った英語表現

最近新たに浮かんできた英語における課題は、「気を使った英語表現」だ。


チームで問題解決をしていて、意見をまとめようとするとき、メンバーの気持ちに配慮した英語表現というは非常に重要になってくる。

そもそも、チームとしては、皆が違う意見を持っていたほうが有難い。新たな解決策がでてきたり、議論の盲点を減らすことができる。しかし、意見をまとめようとするときには、違う意見を持っていれば持っているほど、一つの結論を出すのは難しい。

ここでベストなのは、皆の意見をまんべんなく取り入れた八方美人の結論を出すのではなく、それぞれの意見の中から良い点を取り入れた結論を出すことだ。しかし、時に、メンバーそれぞれのエゴがその作業を邪魔するときがある。自分の意見が通ると誰でも嬉しいし、自分の意見が否定されるのは誰もが気持ちよくないからだ。


しかし、果たして全員が自分の意見を押し通したいのかというと、そうではない。きちんと自分の意見に皆が耳を傾けてくれれば、良識を持った人は他人の意見を素直に受け入れられる。だが、その判断の瀬戸際で、自分の意見が丁寧に扱われることは、非常に重要なことなのだ。

人間はあくまで人間で、そこでは論理よりも感情が優先されることがしばしばで、そんなときは、IQよりEQ(心の知能指数)が必要となる。しかし、十分なEQが仮にあったとしても、英語でうまくそれを伝えられないといけない。そういう瀬戸際に、「ざらついた無遠慮な英語」が飛び交うと、収まるものも収まらなくなる。

つまり、最近の課題は、そういう議論の瀬戸際にこそ、相手の感情を慮った英語を出したい。

You are wrong. (あんた間違ってるよ。)
ではなく、
I have a different perspective on this. (それに対しては違う見方をしています)
といいたい。


I don't understand you.(言ってこと、分からんねえ。)
ではなく、
I am not sure I understand what you said. (きちんと理解したか定かでないんです。)
といいたい。


議論が白熱しすぎてとげとげしくなってきたときには、
I sense some anger or hostility regarding this topic, can we discuss this issue and/or take this issue off-line?
というのもありだろう。


プロジェクトのメンバーと毎日顔をつきあわせて作業していると、次第に遠慮がなくなってくる。しかし、遠慮がなくなってくるからこそ、気を使わなければいけないことがある。「気を使った英語表現」をものにする道はなかなか険しそうだ。

英語を話せないリスク

アメリカに渡米した1年前に比べると、英語は上達したのは確かだが、いつももっと上達したいと思っている。

そのモチベーションの源を探索しだすと色々あるのだけど、高校生くらいまでは、そのモチベーションは、よりポジティブなものだった気がする。英語を身につけることで、世界の人々と触れ合うことができるイメージ。いつか留学してペラペラペーラ、、、と考えていた。

それが、大学に入りインターネットが普及し、そして外資系の企業のサラリーマンになり自分で生活費を稼ぐようになってくると、ポジティブなイメージよりも、より切実な、「英語を話せないリスク」のほうをより大きく考えるようになってきた。


自分の人生の成功のスレッショルド(閾値)、死ぬまでに実現したいこと、を考えると、英語を身につけるということはそれを実現するために必要不可欠なものだから、英語をしゃべれないということは、その成功のスレッショルドを超えるのを危うくする、リスクそのものなのだ。

例えば、Ken.Tが属しているIT業界を見ると、最新の情報の大半が英語で出版される。日本には翻訳された情報だけが大きく流通している。もしこの業界にとどまるならば、英語を使えこなせる程度が、将来的に自分が活躍できる舞台の大きさを決めることになるに違いない。

つまり、留学するための費用や苦労や、キャリアが数年足踏みすることを考慮しても、そのリスクを低減することを優先した、ということなのだろう。

ネイティブではない限り、どこまで上達しても自分が満足することはないのだろう。だから、英語は一生勉強し続けることになるのだろうけど、それを止めるつもりは、いまのところ、ない。一生の伴侶と楽しく付き合っていきたい。

プロジェクトの立ち上げ期(Software Developemnt Studio)

CMUのMSEでは、プログラム全体に占める授業の割合は60%で、残り40%はStudioが占める。
http://www.mse.cs.cmu.edu/Courses-Curriculum.html

Studioとは、教官によって割り当てられたチームで、1年以上かけてお客様に対してソフトウェアを実際に作るプロジェクトのことだ。授業と宿題のプレッシャーをわざとかけた上で、授業で習った知識・プロセス・スキルを実際に適用しながらこのStudioを進めなければいけないように作ってある。いま、このプロジェクトチームは初期段階で、様々な問題をかかえているが、必死で立ち上げようとしている。


Ken.Tのチームは、インド人(男)、インド人(女)、タイ人(男)、日本人(男)という、アジアのソフトウェア業界を代表したようなチーム。(中国人がいればもっとそうだけど。) このチームで1年半やっていくわけだ。ちなみに、8月終わりからチームが組まれてから、もう最初の2ヶ月で散々もめた。価値観も文化も違い、コミュニケーション能力にも問題があるからだ。しかし、最近は落ち着いてきた感じ。

チームが機能(performing)するためには、形成(forming)されてから、一度混乱(storming)をして、それから統一(norming)されていくという、タックマンモデルというのがあるけど、ちょうどStormingを切り抜けてNormingに入ってきた感じだろうか。

1 Forming 
2 Storming
3 Norming
4 Performing


チーム名は、Pangaea(パンゲア)とつけた。

うまくいくよう願いを込めて、Pangaea(パンゲア)というチーム名をKen.Tが提案して、採用された。実はこの名前は、昔、Microsoftのケースコンペティションで使って優勝した時のチーム名だ。でも、最初この名前をチームに提案したら、下記の意見が出た。

「Pangaeaって、超大陸がばらばらになっていったから、縁起が悪いんでないの?」

もっともだ。でも、こう切り替えしておいた。

「Pangaeaとして、チームが成功して皆が成長したら、皆、Pangaeaを巣立っていくでしょ?」

これで皆が納得した。

Studioをやっていくのは大変だけど、チャレンジングで面白い。
今後も状況を報告していきます。


リスクマネジメント

ソフトウェアの世界での「リスク」とは、
「起こる可能性があるもので、
起こったらなんらかのマイナス作用があるもの」、
と定義されている。

つまり、もうすでに起こってしまっていたら、
それはリスクではなく、すでに問題であると認識する。
リスクマネジメントとは、
まだ起こっていない問題に対して、
それを認識しておき、対処方法を考えておくことなのだ。

でも、まだ起こっていない問題に対してどれくらいコストをかけていいか分からないし、
起こっていないことをくどくどやっていると、根暗だと思われがち(wなだったり、
実際にどのようにマネジメントしたらよいか分からなかったりで、
リスクマネジメントは結構ないがしろにされがちだ。

でも良いプロジェクトマネージャーっていうのは、
リスクマネジメントが自然とできていたりする。


話はかなり変わるが、今日のリスクマネジメントの授業は奇抜だった。
Professor Gilの授業はいつも奇抜だ。
いきなり、シルベスタ・スタローン主演の映画「クリフ・ハンガー」のDVDを流す。
(ここからはネタばれになるので、クリフハンガー見ていなくて、
 楽しみにしている人は、見ないでください。)

最初のシーンは、アルプス山脈の崖の上で遭難したカップルを、
レスキュー隊の筋肉むきむきのシルベスタ・スタローンが崖をよじ登って助けにいくところ。
スタローンが無事に崖の上にたどり着き、そこにヘリがきて、ロープをたらす。
一方のロープ端はアンカーで打ち付けられ、
もう一方のロープ端はヘリにあり、ヘリは対岸の崖の上に着陸。
谷底の上に一本のロープが渡されており、ヘリで帰還するには、
その一本のロープを伝って対岸にいかねばならない。
ヘリの運転手は風が強くなっていると警告。

まずは、足を怪我した登山家の彼氏のほうが無事にわたる。
次に、その素人の彼女が恐る恐る渡ろうとする。
が、渡っている途中で、彼女の命綱が切れそうに!!
スタローンは助けに行こうとする。彼氏は止めておけという。
さあ、どうする?

と、こんないいところで、DVDは止められ、
教授は、ここにどのようなリスクがあるのか?
誰が、どうディシジョンするのか?を問いかけた。
究極のリスクマネジメントだ。

どう判断するのか?
命綱は持つかもしれない。二人の体重だと切れるかもしれない。風が吹くかもしれない。
誰がリーダーか?
一番経験あるものか?一番のマッチョな男か?


結局、この後、スタローンは無理やり渡る。そして、彼女は。。。

アメリカパスポート申請

といっても、アメリカはピッツバーグで産まれて、ようやく2ヶ月になった息子Ren.Tの話だ。

アメリカでは郵便局からパスポートが申請できる。申請書類、写真、Social Security Number、必要なお金を支払うためのCheck、それに両親のパスポートが必要だった。

Ren.Tの写真を撮るのは結構大変だったが、近くのCVS(大手薬局チェーン)で、Ren.Tを両手で抱えあげて撮ってもらった。情けない顔つきで撮られたが、そんな表情は昔の自分にそっくりだと思う。


郵便局では淡々と作業が進められた。係員の人が申請書類をチェックし、最後に、ここに書かれていることは正しいか、と聞かれて、両親ともに、Yesと答えた。それで終了。うまくいけば、数週間後にはRen.Tのパスポートが郵送で届けられるだろう。


申請作業自体は、なんてことはない淡々とした作業だったのだけど、Ken.T自身はなんとも言えないしみじみとした喜びに包まれた。

Ken.Tは日本で生まれたとき、在日だったので、パスポートを持つことは許されなかった。そのせいで、子供の頃からの夢だった海外留学も、日本国籍を取得するまでお預けとなってしまった。でも、Ren.Tは、産まれたときから、日本のパスポートとアメリカのパスポートの両方を持つことになるだろう。つまらないことで辛い思いをする必要もない。世界中の子供達が、自由に羽ばたいていけるような世の中であって欲しい。そんな世の中になったら、逆にパスポートなんてのは履歴書みたいなものであるべきなのかもしれないけど。

passport
(cociaとRen.T。靴下が一足脱げているのはご愛嬌。)

山場を越える

とうとうマネージメントゲームが終わった。

Ren.Tが8月半ばに誕生し、MSEがはじまり、MBAのほうでマネージメントゲームもはじまってから、息をつく暇もなかった。

Ren.T誕生! (08/19)
MSEはじまる (08/22)
マネージメントゲームはじまる (08/28)


しかし、なんとか昨日、マネージメントゲームの最終Board Meetingを終え、留学前から一番忙しくなると思っていた最大の山場である2ヶ月弱を乗り越えたようだ。はっきりいって忙しく過ぎて、自分自身に余裕が無く、普段は起こさないようなトラブルや衝突も多々あった。こういうときに本性が出るというけれども、本当にそのとおりだと思う。きちんと分析して、今後に活かしたい。

(授業で得た今日のTIPS)
To improve yourself, always ask this! 


  • what went well

  • what could have gone better

  • what will you do next time



MSEの授業では、ソフトウェアの世界だけでなく、マネージメントや、一般的な生活でも役に立つような「知的労働を効率化するためのTIPS」が溢れている。上記もその中の一つだ。


この2ヶ月弱で、Ren.Tもすっかり大きくなった。(3.7kg→5.5kg) ちょっと大きくなり過ぎで、昨日は抱っこしていて腰を痛めた。


今日なんかは、早速、「おしゃぶり」を覚えたようだ。これまでは、手を自在に動かすこともままならなかったのに顔のところまで持っていけるようになったのだ。といっても、まだ指をしゃぶるというよりは、げんこつの固まりをしゃぶっているような感じだが。彼の成長ぶりを見ていると本当に嬉しいとともに、自分自身も着実に成長しているのか、問いかけるきっかけになるなあ。

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